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「大地を叩く女」を語る井上監督&GRACEさん。

「大地を叩く女」 4人

Graceさんのドラムを初めて観たのは、もう10年くらい前のことでしょうか。
それはもう、衝撃的、でした。

どのくらいの衝撃だったかと説明するならば、
当時映画をつくる術さえ知らなかった私が、『大地を叩く女』という作品を生み出し、
その境地まで導かれたというくらいです。

その姿は、まさに、大地を叩く女神、マザーでした。
身体めいいっぱい、全身の力で、心のうねりをドラムに注ぎ、
大きな優しさと厳しさで、世の垢を浄化しているような、わたしにはそう見えたのです。

いつしか、この神々しい目の前のものが過ぎ去る時間が
惜しくて堪らないと切迫感を抱くようになり、
どうにかこの瞬間を切り取れないか、そこからこの映画は始まったような気がします。

さらに、長見順さん、かわいしのぶさん、柴草玲さんのライブを拝見するごとに、
毎度どこかで、自分だけの宝物を見つけたような意識を持ち帰り、
アーティストとして、女性としても、
この成熟した美しい人間たちの旨味を映像化せずにいられない、
絶対面白いものができるぞ、という確信がありました。

結果、作品はさまざまな国をひとり歩きし、
賞賛まで頂き、制作から4年たった今も動き続け、
万人に受け入れられ、よくやくその確信が私の中で本物に変わりつつあります。

私の映画製作の始まりは、人、在りきです。
魅力的な人間が実在する、では、どう日常と結びつけ、
どう描けば、その人がさらに魅力的に、作品の中に活きていくか。
甘くもない、でも苦くもない、この現実の世でどう登場人物を共存させるか。
彼女たちの日常の生業、佇まい、生き様こそが、作品の説得力です。

映画をつくることは、わたしにとって雲を掴むような作業なのですが、

この映画には、圧倒的な人間の力が映っています。
そこだけは、封じ込められたかなと思っています。

井上 都紀

 

 

私の曲に「殴られる人生」という曲があります。
その曲は、私がお正月に帰省した時、
父と些細な事で言い合いをして殴られた時の事を書いたものです。

父はその頃、認知症の道を歩き始めていました。
きっと父は、自分でもいろんな感情が渦巻いて収集つかなくなって、
イライラしてたんだろうな。

それ以外には、父とのバトルは高校の時に一発。
私の高校の卒業アルバムは顔が腫れています。
でも、次の日に父がコブシを腫らしていた方が私には痛々しかった。
殴る側の方が心も身体も痛いんじゃないだろうか?と
初めて思った事を今でも鮮明に覚えています。

その次の年のお正月、私はひどく仕事の事で悩んでいました。
お正月なのに晴れ晴れとした顔が出来ない私を見て心配していたのでしょうか、
子供還りしていた父は帰り際「がーんばーれよ」と私の手を握り、
子供のようにブンブンと上下に振ってくれました。

父はめいっぱいの愛情をその握力で伝えてくれたのでしょう。

そして、この映画がゆうばりでグランプリを獲得した半年後にこの世を去りました。

縁があってこの映画に出演させていただいたことで、
父をはじめとする男性との間にあった愛情の濃さで出来た「たわみ」みたいなモノが
すぅっと抜けたような気がしています。

たたくのもなでるのもにぎるのも全部「手」だからできること。

特にこの「手」がする愛の表現はとても繊細であったかくて甘美。
その逆に裏返ってしまった感情の表現はどこまでも痛くて冷たい。


井上都紀監督は、そういった生々しいモノの凄みや破壊力、エグさを、
どこまでも美しく静かに描く人です。

女神の目線で。
全てを見守るように。

2011 Nov.
GRACE